
現在、埋蔵文化財センターでは中沢遺跡の発掘調査を行っています

愛知川左岸の自然堤防上に位置する中沢遺跡は、隣接する斗西(とのにし)遺跡とあわせて、遺跡の面積は約19万㎡、古墳時代を中心とした集落遺跡です。見つかった竪穴建物跡は千棟以上、掘立柱建物跡は3百棟に及びます。
微高地の周囲には、現在は埋没して見ることのできない旧河道が発掘調査され、堰と簗跡、丸木舟の一部が見つかっています。水の確保、漁労、水運など地の利に恵まれた場所であったことがわかっています

古墳時代前期には、外来系土器と呼ばれる、畿内、山陰、北陸、東海、吉備、讃岐など各地の土器が、集落遺跡で出土することが多く、中沢・斗西遺跡でも見つかっています。各地との交流の中で集落の生活があったことがうかがえます

遺跡のうち、約7万㎡が発掘調査されていますが、飛び抜けて大きかったり、区画された建物などは見つかっていません。
しかし、古墳時代に入る周溝墓跡が見つかっているほか、南東に位置する神郷亀塚古墳の被葬者の本拠地と目されており、集団の構造はまだまだ解明されていません。
また、古墳時代後期には、繖山(きぬがさやま)に山面古墳群などの横穴式石室を持つ群集墳が築かれます。

遺跡の北側には3重から5重といわれる塔心礎が残る法堂寺廃寺があり、白鳳寺院が建立されるなど、長く一帯の拠点的な集落であったと考えられています。
『東近江市史 能登川の歴史』第一巻に、説明がありますのでご参考にされてください

発掘調査の様子(竪穴建物跡)

Posted by 東近江市埋蔵文化財センター at 09:00
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